去年やるかもしれないと言ったような曖昧な記憶がありますが、今年の2月末に実際受けてきました。
全身麻酔で行うものは物心がついてからは初めてだったのですが、日程が近づいても、手術台に上がるときも、麻酔を吸い込むときも、なんだかやたらとフラットな気分で。全く不安もなにも感じませんでした。なので、別段手術前に「一応の報告」もしなかったんですが。
なんなら「幽体離脱して、手術中の様子見学したいな〜」とか思ってました。できませんでした。
手術自体は約3時間半掛かったので、まあまあしっかりと手術ですね。
ただ、事前の説明では「かなり難しいと思う」と言われていたのですが、終わってみれば切開痕も最小限で、病院側も驚くほどスムーズに行ったようでした。
実際、かなり回復が早いです。もう動けているので。
流石に当日の夜は痛みで悶絶していましたが。皮膚の傷は小さくても、その内側はガッツリ切ってほじくってますからね。
ちなみにもう退院しています。
自宅の自室に帰ってくると、ホッとします。回復が早まる感じがする。
部屋で飼ってる観葉植物に、「俺も体剪定してきたよ〜」と話しかけておきました。植物は枝葉を切っても、別のところからまた枝葉が生えてくるので、強いなあ、と。しみじみ感じました。
随分と楽にはなってきましたが、まだまだ痛みと疲弊と闘っているところです。
仰向けでしか横になれないのが地味につらいですね。寝返りが打ちたい。背中と首がパンクしそう。
麻酔から覚めたときに、自分が変なことを言わないといいなと思っていましたが、大丈夫でした。
「天満さ〜ん、終わりましたよ〜」と起こされたときに発した第一声は、
「ファッ、アッ、ありがとうございます。よく寝たぁ……」でした。
2023年03月04日
2023年01月03日
新年のご挨拶 〜2022年の振り返りを添えて〜
明けましておめでとうございます。本年2023年も、ユール書殿を宜しくお願い致します。
元日にGALLERYの方にイラストを追加しました。※ファイル名の指定ミスで表示ができていなかったようです。修正しました。
ピトゥレーとメリウスです。真冬に真夏みたいな絵ですが、南半球は真夏ですから。
今年のサイトヘッダーやバナー、ツイッターカードにはこの絵を使用していくつもりです。ツイッターカードと言えば、なんだかうまく画像を読み込んでくれないことが多いですが。
さて、昨年の振り返りをしつつ、今年の目標などを語っていきたいと思います。あまり創作には関係ない個人的な話ばかりになりそうですが、色々な経験を作品作りのネタにしていくつもりなので、心境をあえて書き残しておこうかと。
昨年は、一言で言えば「準備の年」だったと思います。一昨年の後半もそのような感じでしたが、いよいよ本腰を入れて、といった感じ。自分自身を整えることに注力していました。年のはじめに掲げた目標は、果たせたものもあれば、果たせなかったものもあり、今年に持ち越しになったものもあります。いずれにしても、よく頑張ったと思います。まずは過去の自分に称賛を。
中でも大きかったことは、人間関係に区切りをつけたことです。それは私にとって勇気と思い切りの必要なことでした。
あくまで個人的な考えですが、こと友情というものは「対等」であることが表面上においても重要だと思っています。もちろん、人にはコンディションというものがありますから、片方が片方に頼ること、またそういう期間があるのは当たり前だとも思います。ですが、そういった期間があまりにも長く続いてしまうと、対等な関係ではなくなってしまう。
私には、腐れ縁とも呼べてしまえるような友人が二人いました。腐れすぎて白骨化していたかもしれませんし、なんなら化石化していたかもしれません。長い付き合いでした。
今となっては、本当に好意を持って関係を続けていたのか、責任感や義務感といったものに縛られていたのか、分かりません。おそらく両方あったと思いますが、見切りをつけてしまった後となっては、好意の所在は不明です。
私は彼らの人生を全力で応援していました。しかし、いくら私が熱を持って応援したところで、当人たちが私の熱意を超えるくらいの意気で自分の人生を生きるという覚悟(それは選択することと決定すること、そしてそれに対する責任を自分自身が負うということです)が持てなければ、まるで意味がない。
座り込んだまま動かない彼らを、何度も置いていこうと思いました。けれども「ああ、もう」と何度も引き返してしまったのは、期待を捨てきれなかったからです。きっともう少しすれば、もう少し、きっとあともう少し……。といった具合で、私自身葛藤しながら過ごしていました。二人を応援することが私の責任のように感じられていました。或いは罪滅ぼしかなにかかと。
ちなみに、私自身に彼らに対する罪咎など、何ひとつありません。むしろ私のほうがこっぴどく裏切られている。のに、一体どうしたことなのか。奇妙な話です。
そういった具合で何年も過ごしてきましたが、ほんのひと月ほど前に、とうとう堪忍袋の尾が切れたというか、なんというか。「いや、もう置いていっていいでしょ」と自分の中で思いが固まりました。一瞬です。何年も何年も悩み闘ってきたことが解決するのは、私の場合は大抵が一瞬なんです。「今度こそ俺は引き返さねえからな。好きに生きやがれ」と心の中で吐き捨てて、置いてきました。
周囲に流され続けることを良しとするならば、それもまた当人の決定です。良しとしていない様子だったので、私なりにサポートしてきたつもりなわけですが、結局その繰り返しの中から抜け出そうという現実的な行動を何ひとつ私に示してはくれなかった。
彼らに足並みを揃えている限り、私は先に進めない。けれどもこうすることが私の責任であって――。……いや、そんな責任ねえだろ。と。
過去の私は彼らをリスペクトしていました。だからこそ友人でいたかった。対等な関係でありたかったのです。しかし私たちはとっくに対等な関係ではなくなっていて、それでもどうにか戻れるようにと私一人が躍起になっていました。そうなってしまっては私の思いの押し付けでしかなく、また私自身の負担でもある。
というわけで、もう私の方から彼らにコンタクトを取ることはないでしょう。ときに諦めることは重要です。熱意を持っていたことを諦めるのには勇気がいりますが。
今はとてもスッキリしています。
これまでそちらに注いできたエネルギーを、年末はずっと補充していました。年始も暫くは続きそうですが、片付けてできたスペースにはきっと私にとって本当に大切にするべき新しいものを飾れると思います。
長かったです。ようやく断ち切れた。自分の人生を生きることにまずは集中。他人の人生の責任まで私が負う必要はない。
私はまず、私自身の人生の基盤をしっかりと作っていこうと思います。これは以前からの目標でもありますが、より具体的になってきたように感じられます。
さて、創作においてですが。方向性というものを、確とすることができました。
私の作品は万人受けするものではないと思います。というか、私自身がいわゆるマイノリティと呼ばれる属性を幾つも幾つも持って生まれ生きてきた以上、そもそも万人受けするような作品が書けるわけがないんです。
9人に「なんだこりゃ」と思われても、1人が「こ、これは…、これ……、うわぁ〜、これはぁ〜〜〜!!」と思ってくれればいいんです。なんならもっと少なくてもいいです。
もちろん、柔軟性は大切だと思いますし、扱える色は多い方がいいでしょうが、私は「青い絵が描きたい」と思ったら青い絵を描きます。「ちょっと赤が入ると良いかもよ」という意見は採用しても「赤い絵にして」という意見は受け付けない。なぜなら青い絵が描きたいから。逆に赤い絵が描きたければそうします。
そんなスタンスで仕上げた作品でも、受け入れてくれる人は確かにいるのだと、昨年は知ることができました。本当にありがたいことです。
ですので、私はこのまま行きます。このままのスタイルで「偽椿」を執筆します。
元々自分自身の意見や思想というものはあったと思いますが、最近はそれを自分自身で掴めるようになってきた感じがします。昔から自分と他人の境界線を見失いがちな性質で必要以上に思い詰めて悩む人間でしたけれども、ようやく「自分は自分、他人は他人」といった線引ができるようになってきました。
で、今年は投稿サイトにも「約束の還る海」を載せようかと思っています。どこにするかは考え中です。あまり何箇所も管理する余裕はない気がするので。
最近はネット小説もさほど読んでいないので、どこのサイトが使いやすい(読みやすい)のか分かりません。カクヨムが無難かなと思ってはいるのですが、作品の傾向的にエブリスタあたりも気になってはいます。おすすめの投稿サイトがあれば教えてください(他力本願)。
そして、新しい習慣をつけたいと思っています。昨年末から朝の読書を始めてみました。とりあえず10分から。まあ、夢中になって一時間とか読んでいたりするんですが。ちなみに今読んでいるのは「ドグラ・マグラ」です。頭がおかしくなりそうでメチャクチャ面白いですね。さすが名作。
もう一つ、海に行きたいです。泳いだりはできないでしょうが、アンドレーアやリオンのように、磯や浜辺に座り込んでボンヤリしたいです。
本当は約束の還る海を書き終える前に行きたかったんですけれども。
まとめです。
2023年の創作活動目標
・投稿サイトに約束の還る海を掲載する。
・偽椿の執筆。
・イラストを描く。
とくに完結させることや、何枚描くといったことは設定しません。何が起こるか分かりませんからね。
創作活動をしていると、自分の書いた作品に気付かされることが多いです。
今年も作品作りを通して、自分を成長させていきたいと思います。私の人生と創作活動は切り離せないのだなと、つくづく思い知りましたので。
以上です。長文にお付き合いくださり、どうもありがとうございました。
元日にGALLERYの方にイラストを追加しました。※ファイル名の指定ミスで表示ができていなかったようです。修正しました。
ピトゥレーとメリウスです。真冬に真夏みたいな絵ですが、南半球は真夏ですから。
今年のサイトヘッダーやバナー、ツイッターカードにはこの絵を使用していくつもりです。ツイッターカードと言えば、なんだかうまく画像を読み込んでくれないことが多いですが。
さて、昨年の振り返りをしつつ、今年の目標などを語っていきたいと思います。あまり創作には関係ない個人的な話ばかりになりそうですが、色々な経験を作品作りのネタにしていくつもりなので、心境をあえて書き残しておこうかと。
昨年は、一言で言えば「準備の年」だったと思います。一昨年の後半もそのような感じでしたが、いよいよ本腰を入れて、といった感じ。自分自身を整えることに注力していました。年のはじめに掲げた目標は、果たせたものもあれば、果たせなかったものもあり、今年に持ち越しになったものもあります。いずれにしても、よく頑張ったと思います。まずは過去の自分に称賛を。
中でも大きかったことは、人間関係に区切りをつけたことです。それは私にとって勇気と思い切りの必要なことでした。
あくまで個人的な考えですが、こと友情というものは「対等」であることが表面上においても重要だと思っています。もちろん、人にはコンディションというものがありますから、片方が片方に頼ること、またそういう期間があるのは当たり前だとも思います。ですが、そういった期間があまりにも長く続いてしまうと、対等な関係ではなくなってしまう。
私には、腐れ縁とも呼べてしまえるような友人が二人いました。腐れすぎて白骨化していたかもしれませんし、なんなら化石化していたかもしれません。長い付き合いでした。
今となっては、本当に好意を持って関係を続けていたのか、責任感や義務感といったものに縛られていたのか、分かりません。おそらく両方あったと思いますが、見切りをつけてしまった後となっては、好意の所在は不明です。
私は彼らの人生を全力で応援していました。しかし、いくら私が熱を持って応援したところで、当人たちが私の熱意を超えるくらいの意気で自分の人生を生きるという覚悟(それは選択することと決定すること、そしてそれに対する責任を自分自身が負うということです)が持てなければ、まるで意味がない。
座り込んだまま動かない彼らを、何度も置いていこうと思いました。けれども「ああ、もう」と何度も引き返してしまったのは、期待を捨てきれなかったからです。きっともう少しすれば、もう少し、きっとあともう少し……。といった具合で、私自身葛藤しながら過ごしていました。二人を応援することが私の責任のように感じられていました。或いは罪滅ぼしかなにかかと。
ちなみに、私自身に彼らに対する罪咎など、何ひとつありません。むしろ私のほうがこっぴどく裏切られている。のに、一体どうしたことなのか。奇妙な話です。
そういった具合で何年も過ごしてきましたが、ほんのひと月ほど前に、とうとう堪忍袋の尾が切れたというか、なんというか。「いや、もう置いていっていいでしょ」と自分の中で思いが固まりました。一瞬です。何年も何年も悩み闘ってきたことが解決するのは、私の場合は大抵が一瞬なんです。「今度こそ俺は引き返さねえからな。好きに生きやがれ」と心の中で吐き捨てて、置いてきました。
周囲に流され続けることを良しとするならば、それもまた当人の決定です。良しとしていない様子だったので、私なりにサポートしてきたつもりなわけですが、結局その繰り返しの中から抜け出そうという現実的な行動を何ひとつ私に示してはくれなかった。
彼らに足並みを揃えている限り、私は先に進めない。けれどもこうすることが私の責任であって――。……いや、そんな責任ねえだろ。と。
過去の私は彼らをリスペクトしていました。だからこそ友人でいたかった。対等な関係でありたかったのです。しかし私たちはとっくに対等な関係ではなくなっていて、それでもどうにか戻れるようにと私一人が躍起になっていました。そうなってしまっては私の思いの押し付けでしかなく、また私自身の負担でもある。
というわけで、もう私の方から彼らにコンタクトを取ることはないでしょう。ときに諦めることは重要です。熱意を持っていたことを諦めるのには勇気がいりますが。
今はとてもスッキリしています。
これまでそちらに注いできたエネルギーを、年末はずっと補充していました。年始も暫くは続きそうですが、片付けてできたスペースにはきっと私にとって本当に大切にするべき新しいものを飾れると思います。
長かったです。ようやく断ち切れた。自分の人生を生きることにまずは集中。他人の人生の責任まで私が負う必要はない。
私はまず、私自身の人生の基盤をしっかりと作っていこうと思います。これは以前からの目標でもありますが、より具体的になってきたように感じられます。
さて、創作においてですが。方向性というものを、確とすることができました。
私の作品は万人受けするものではないと思います。というか、私自身がいわゆるマイノリティと呼ばれる属性を幾つも幾つも持って生まれ生きてきた以上、そもそも万人受けするような作品が書けるわけがないんです。
9人に「なんだこりゃ」と思われても、1人が「こ、これは…、これ……、うわぁ〜、これはぁ〜〜〜!!」と思ってくれればいいんです。なんならもっと少なくてもいいです。
もちろん、柔軟性は大切だと思いますし、扱える色は多い方がいいでしょうが、私は「青い絵が描きたい」と思ったら青い絵を描きます。「ちょっと赤が入ると良いかもよ」という意見は採用しても「赤い絵にして」という意見は受け付けない。なぜなら青い絵が描きたいから。逆に赤い絵が描きたければそうします。
そんなスタンスで仕上げた作品でも、受け入れてくれる人は確かにいるのだと、昨年は知ることができました。本当にありがたいことです。
ですので、私はこのまま行きます。このままのスタイルで「偽椿」を執筆します。
元々自分自身の意見や思想というものはあったと思いますが、最近はそれを自分自身で掴めるようになってきた感じがします。昔から自分と他人の境界線を見失いがちな性質で必要以上に思い詰めて悩む人間でしたけれども、ようやく「自分は自分、他人は他人」といった線引ができるようになってきました。
で、今年は投稿サイトにも「約束の還る海」を載せようかと思っています。どこにするかは考え中です。あまり何箇所も管理する余裕はない気がするので。
最近はネット小説もさほど読んでいないので、どこのサイトが使いやすい(読みやすい)のか分かりません。カクヨムが無難かなと思ってはいるのですが、作品の傾向的にエブリスタあたりも気になってはいます。おすすめの投稿サイトがあれば教えてください(他力本願)。
そして、新しい習慣をつけたいと思っています。昨年末から朝の読書を始めてみました。とりあえず10分から。まあ、夢中になって一時間とか読んでいたりするんですが。ちなみに今読んでいるのは「ドグラ・マグラ」です。頭がおかしくなりそうでメチャクチャ面白いですね。さすが名作。
もう一つ、海に行きたいです。泳いだりはできないでしょうが、アンドレーアやリオンのように、磯や浜辺に座り込んでボンヤリしたいです。
本当は約束の還る海を書き終える前に行きたかったんですけれども。
まとめです。
2023年の創作活動目標
・投稿サイトに約束の還る海を掲載する。
・偽椿の執筆。
・イラストを描く。
とくに完結させることや、何枚描くといったことは設定しません。何が起こるか分かりませんからね。
創作活動をしていると、自分の書いた作品に気付かされることが多いです。
今年も作品作りを通して、自分を成長させていきたいと思います。私の人生と創作活動は切り離せないのだなと、つくづく思い知りましたので。
以上です。長文にお付き合いくださり、どうもありがとうございました。
2022年12月03日
満足のいく仕上がりになっております
先月、「約束の還る海」を公開しました。以前、「メレーの子」、「クレス・メレー」として公開していた作品を、当初の構想に沿うよう一つにまとめたものです。
私が思い描いている世界観の、ざっくりとしたスケール感はちょっと出せたかなと思います。
この作品についてはブログでも何度も語っているので、耳タコならぬ目タコの方もいらっしゃるかもしれませんが、改めて。
たぶん、初めてこの作品の構想が湧いたのは、6年前だと思います。サイトを始めて、Before Restartを描いている間に、フヨフヨと浮かんできました。今の完成形とはだいぶ様子が違いましたが、いわゆる「性的マイノリティー」に属するキャラクターと「性的トラウマ」を抱えるキャラクターとの友情というか共感というか、共依存的な関係を中心として進むストーリーを思い浮かべていました。
ちなみに、はじめリオンはISではなくTG設定でした。
この作品は、一人称で書いてよかったと思います。書き手である私自身が、結構レナートやリオンに共感できる部分が多かったので、言葉がかなりスムーズに出てきました。し、世界観も大事にはしているのですが、どちらかというとキャラクターの内面にフォーカスしたかったので、「とある世界を生きているキャラクター」というよりは「キャラクターは頑張って生きています。ちなみにこんな感じの世界です」といったバランスがちょうどいい具合になったのではないかなと。
私自身は神視点群像劇にだいぶ憧れがあるので、いつかはちゃんと書きたいと思っているのですが、いかんせんプロットづくりが下手というか、作ってもそれに沿って書けないというか……。正直、そのあたりを誰かに手伝ってほしいです。書きたいので。
ちなみに、この後に本腰を入れて執筆していく予定の「偽椿」は、「約束の還る海」でチラチラと匂わせていた部分に補足が入ってくるような感じにもなるかと思います。もちろん、それぞれ単品で読める作品にするのですが、続けて読めば「ん?これって……」となるかもしれないし、ならないかもしれないです。
雰囲気がだいぶ違う作品になりそうですし、一見すると世界観そのものが別のようにも見えるかもしれませんが、あえて先に言っておきますと、同じです。時代と国が違うだけです。
誤字や脱字、言い回しの修正などは気付き次第行うでしょうが、この作品はある意味私の人生における一つの区切りのような役割を持っているように感じるので、もうあまり手を付けたくないですね。
後になって読み返したときには稚拙に感じられるようになるかもしれませんが、それもそれとして。
2022年も残りわずか。来年のサイトヘッダーを飾るイラストをぼちぼちと描きつつ、少しのんびりしたいと思います。
私が思い描いている世界観の、ざっくりとしたスケール感はちょっと出せたかなと思います。
この作品についてはブログでも何度も語っているので、耳タコならぬ目タコの方もいらっしゃるかもしれませんが、改めて。
たぶん、初めてこの作品の構想が湧いたのは、6年前だと思います。サイトを始めて、Before Restartを描いている間に、フヨフヨと浮かんできました。今の完成形とはだいぶ様子が違いましたが、いわゆる「性的マイノリティー」に属するキャラクターと「性的トラウマ」を抱えるキャラクターとの友情というか共感というか、共依存的な関係を中心として進むストーリーを思い浮かべていました。
ちなみに、はじめリオンはISではなくTG設定でした。
この作品は、一人称で書いてよかったと思います。書き手である私自身が、結構レナートやリオンに共感できる部分が多かったので、言葉がかなりスムーズに出てきました。し、世界観も大事にはしているのですが、どちらかというとキャラクターの内面にフォーカスしたかったので、「とある世界を生きているキャラクター」というよりは「キャラクターは頑張って生きています。ちなみにこんな感じの世界です」といったバランスがちょうどいい具合になったのではないかなと。
私自身は神視点群像劇にだいぶ憧れがあるので、いつかはちゃんと書きたいと思っているのですが、いかんせんプロットづくりが下手というか、作ってもそれに沿って書けないというか……。正直、そのあたりを誰かに手伝ってほしいです。書きたいので。
ちなみに、この後に本腰を入れて執筆していく予定の「偽椿」は、「約束の還る海」でチラチラと匂わせていた部分に補足が入ってくるような感じにもなるかと思います。もちろん、それぞれ単品で読める作品にするのですが、続けて読めば「ん?これって……」となるかもしれないし、ならないかもしれないです。
雰囲気がだいぶ違う作品になりそうですし、一見すると世界観そのものが別のようにも見えるかもしれませんが、あえて先に言っておきますと、同じです。時代と国が違うだけです。
誤字や脱字、言い回しの修正などは気付き次第行うでしょうが、この作品はある意味私の人生における一つの区切りのような役割を持っているように感じるので、もうあまり手を付けたくないですね。
後になって読み返したときには稚拙に感じられるようになるかもしれませんが、それもそれとして。
2022年も残りわずか。来年のサイトヘッダーを飾るイラストをぼちぼちと描きつつ、少しのんびりしたいと思います。
2022年10月16日
日出処の天子 山岸凉子
とんでもない作品に出会ってしまった。タイトルは随分前から知っていたものの、いざ一昨日まで読んだことのなかった漫画。
ドンピシャリと心臓脳天をぶっ刺されてしまいました。タイトルを知った当初に読まなくてよかったなと思います。確実に致命傷を負って、あちら側に行ったきりこちら側の世界視点感覚を失っていたかもしれない。(あちらとかこちらとか何なんだよって自分で書いていて分かってませんが)
いざ読んでみようと思ったきっかけは、YouTubeのおすすめに流れてきた、「ワイの好きな漫画紹介するで」系動画です。サムネイルに使われていた絵がまず美しかった。12歳で天野喜孝先生が描かれた女装イシュトヴァーン(グイン・サーガ外伝「ヴァラキアの少年」)に惚れてしまった私です。
ネタバレしますんで、以下はご注意を。
主人公は蘇我毛人(蝦夷)と、厩戸王子(後の聖徳太子)です。
主人公たちの立場的に、基本的に政治が関わってきます。腹の探り合いに陰謀なんやかんや、覚えにくい家系図。まだ一回通しで読んだだけなので、ストーリーやキャラクターの心情解釈に誤りがあるかもしれませんが、この熱が高いうちに書き残せるものを残しておきたいと思ったものですから。
私は、静と動、理性と激情を併せ持ち葛藤するキャラクターが大好きです。
そういった二面性が強く、潔癖な厩戸と、正直で優しいがゆえの優柔不断さのある毛人。
私は断然厩戸の方に移入してしまうタイプの人間なので、「毛人ィ〜!お前ェ〜〜!!!」と頭を抱えること幾度か。
魂レベルで惹かれ合っていることは明白。毛人に執着する厩戸と、別の道へ進もうとする毛人。厩戸は毛人を繋ぎ止めるために必死になる。それはときに持ち前の冷静ささえ失わせてしまうほどの強烈な思い。
いやぁ〜、いいですねぇ。
厩戸はメチャクチャ女嫌いなんですが、果たしてそれはどこから来るものなのか。母親の影響もあるかもしれませんが、それだけとは考えにくい。生まれつきそういう性質といえば、それに近いかもしれない。
厩戸は中性的な容姿の美少年・美青年で、それを利用して度々変装に女の格好をします。そうするともう女性にしか見えない。
厩戸の静の部分は男性的で、動の部分は女性的ということなのかなと読んでいて感じました。つまり、本能・激情の部分に女性性が強く反映される。厩戸が女性に対して嫌悪を顕にするのも、念力(?)で男に襲わせたのに満更でもない様子を目にしたときや、再婚した母が妊娠したときなど、女性の本能的・感情的な「性」の部分に触れたときだなと。で、それは厩戸の中にもあるわけですね。
思うに、厩戸は自分の中にあるそれが嫌だったのではないかと。感情に振り回されることが煩わしい、というか。毛人と関わると余計にそういった面が触発されてしんどい。こんなもの消えればいいのに、的な。
自分の女性的な容姿を利用することはできても、自分の内にある女性性をひけらかすことはできない。男だから。結構その辺の意識はハッキリ強めに持っているみたいです。けれども女性は女性性をあらわにしても咎められたりなどはしないわけで。なんかこう、羨ましさというか、嫉妬心から来る憎しみなんだろうなという感じ。
終盤に毛人に指摘されていましたが、「この世の半分は女であるのに、それを拒絶し続けるのなら、あなたは不完全なままだ(うろ覚え要訳。全然違ったかもしれない)」という言葉は、厩戸自身の内側に通じてほしい言葉だった気がします。毛人はそこまで考えてなさそうですが。自分の女性性を否定するなと。
現代ならいざ知らず。厩戸は精神的には両性具有で、男性性と女性性を半々に持っていたんだと思うんですよ。それを切り分けて生きてきた。そうするしかなかったんだろうと。
で、そんな厩戸が唯一自分の精神的な女性性を見せることができたのが毛人だったわけで。他では押し殺すしかない自分の半分を出してやれるのは、毛人といるときだけだった。その毛人は結局、厩戸を選ぶことはしなかった。そりゃ積みますわ。
しかし厩戸も「わたしを選べ」じゃなくて「わたしも選べ」くらいのユルさでいてやれば、毛人も却ってその方がよかったかもしれない。優柔不断だし。
そんな考え方ができるなら、初めから男性性と女性性を切り分けてしまって苦しんでもいないんでしょうけれど。
後日談では、厩戸に瓜二つの娘が登場します。娘なんです。女性の形をとっているんです。これは意味深。彼女は本能だけで生きているというか、そういった感じの子です。
たぶん、厩戸は生前に彼が嫌悪してやまなかった本能の部分を封印したのだろうと。ですが、最後の最後で「娘」という形でまろび出てしまった。厩戸が封印したものを全て引き受け、それ以外にはなにも持っていない存在とでも言えましょうか。
厩戸は自分の念の力が常軌を逸していることを当然自覚しておりますので、死後に自分の未練(満たされることのなかった本能、愛されたいという感情)がとんでもない不始末を起こしてしまうことを見越して、五重塔を建てたという設定の模様。
毛人の子でもある長男(この辺り入り組んでいるので読んでください)に、赤子のように愛でられ甘える姿は、厩戸自身が叶えられなかった・押し殺す他なかった願望が素直に表れたようです。まあ、妹の方は恋人のようにも甘えたいようでしたが、兄のほうはあくまで「妹」として愛でているつもりらしい。
同じ毛人の子でも、恋敵の子である入鹿には塩対応なところも、素直で大変よろしい。
特に女性キャラクターがそうなのですが、いわゆる現代的な美少女・美女のキャラクター(毛人の妹など)がいる一方、個性的な顔立ちのキャラクターもいます。額田部女王(推古天皇)が分かりやすい。推古天皇、美人なんですよね。仏画(菩薩像)的な顔立ちというか。
初見ですと、目が細くて眉もつり上がっているので、性格キツそうに見えたんですが、べつにそんなことはなかった。むしろ厩戸の立場からするとわりといい人です。政治的な部分にも表立って関わってくる女性ですが、そういう場面では厩戸の女嫌いもなりを潜めるようです。
他にも色々書きたいところですが、お陰様で寝不足なのでこの辺りにしておきます。
電子版で購入したんですが、画面サイズがB6くらいある端末が欲しいなと思いました。A5あれば見開きでも読めるかな……。
電子書籍はあまり購入しないので(とくに漫画作品は)タブレット的なものは持っていないのですが、スマホの画面だとド近視ド乱視がえらいことに。
iPad前々から欲しいと思っているんですが、もし今後電子で漫画を買うことが増えてきたら端末も買おうかなと思います。
以上です。ありがとうございました。
ドンピシャリと心臓脳天をぶっ刺されてしまいました。タイトルを知った当初に読まなくてよかったなと思います。確実に致命傷を負って、あちら側に行ったきりこちら側の世界視点感覚を失っていたかもしれない。(あちらとかこちらとか何なんだよって自分で書いていて分かってませんが)
いざ読んでみようと思ったきっかけは、YouTubeのおすすめに流れてきた、「ワイの好きな漫画紹介するで」系動画です。サムネイルに使われていた絵がまず美しかった。12歳で天野喜孝先生が描かれた女装イシュトヴァーン(グイン・サーガ外伝「ヴァラキアの少年」)に惚れてしまった私です。
ネタバレしますんで、以下はご注意を。
主人公は蘇我毛人(蝦夷)と、厩戸王子(後の聖徳太子)です。
主人公たちの立場的に、基本的に政治が関わってきます。腹の探り合いに陰謀なんやかんや、覚えにくい家系図。まだ一回通しで読んだだけなので、ストーリーやキャラクターの心情解釈に誤りがあるかもしれませんが、この熱が高いうちに書き残せるものを残しておきたいと思ったものですから。
私は、静と動、理性と激情を併せ持ち葛藤するキャラクターが大好きです。
そういった二面性が強く、潔癖な厩戸と、正直で優しいがゆえの優柔不断さのある毛人。
私は断然厩戸の方に移入してしまうタイプの人間なので、「毛人ィ〜!お前ェ〜〜!!!」と頭を抱えること幾度か。
魂レベルで惹かれ合っていることは明白。毛人に執着する厩戸と、別の道へ進もうとする毛人。厩戸は毛人を繋ぎ止めるために必死になる。それはときに持ち前の冷静ささえ失わせてしまうほどの強烈な思い。
いやぁ〜、いいですねぇ。
厩戸はメチャクチャ女嫌いなんですが、果たしてそれはどこから来るものなのか。母親の影響もあるかもしれませんが、それだけとは考えにくい。生まれつきそういう性質といえば、それに近いかもしれない。
厩戸は中性的な容姿の美少年・美青年で、それを利用して度々変装に女の格好をします。そうするともう女性にしか見えない。
厩戸の静の部分は男性的で、動の部分は女性的ということなのかなと読んでいて感じました。つまり、本能・激情の部分に女性性が強く反映される。厩戸が女性に対して嫌悪を顕にするのも、念力(?)で男に襲わせたのに満更でもない様子を目にしたときや、再婚した母が妊娠したときなど、女性の本能的・感情的な「性」の部分に触れたときだなと。で、それは厩戸の中にもあるわけですね。
思うに、厩戸は自分の中にあるそれが嫌だったのではないかと。感情に振り回されることが煩わしい、というか。毛人と関わると余計にそういった面が触発されてしんどい。こんなもの消えればいいのに、的な。
自分の女性的な容姿を利用することはできても、自分の内にある女性性をひけらかすことはできない。男だから。結構その辺の意識はハッキリ強めに持っているみたいです。けれども女性は女性性をあらわにしても咎められたりなどはしないわけで。なんかこう、羨ましさというか、嫉妬心から来る憎しみなんだろうなという感じ。
終盤に毛人に指摘されていましたが、「この世の半分は女であるのに、それを拒絶し続けるのなら、あなたは不完全なままだ(うろ覚え要訳。全然違ったかもしれない)」という言葉は、厩戸自身の内側に通じてほしい言葉だった気がします。毛人はそこまで考えてなさそうですが。自分の女性性を否定するなと。
現代ならいざ知らず。厩戸は精神的には両性具有で、男性性と女性性を半々に持っていたんだと思うんですよ。それを切り分けて生きてきた。そうするしかなかったんだろうと。
で、そんな厩戸が唯一自分の精神的な女性性を見せることができたのが毛人だったわけで。他では押し殺すしかない自分の半分を出してやれるのは、毛人といるときだけだった。その毛人は結局、厩戸を選ぶことはしなかった。そりゃ積みますわ。
しかし厩戸も「わたしを選べ」じゃなくて「わたしも選べ」くらいのユルさでいてやれば、毛人も却ってその方がよかったかもしれない。優柔不断だし。
そんな考え方ができるなら、初めから男性性と女性性を切り分けてしまって苦しんでもいないんでしょうけれど。
後日談では、厩戸に瓜二つの娘が登場します。娘なんです。女性の形をとっているんです。これは意味深。彼女は本能だけで生きているというか、そういった感じの子です。
たぶん、厩戸は生前に彼が嫌悪してやまなかった本能の部分を封印したのだろうと。ですが、最後の最後で「娘」という形でまろび出てしまった。厩戸が封印したものを全て引き受け、それ以外にはなにも持っていない存在とでも言えましょうか。
厩戸は自分の念の力が常軌を逸していることを当然自覚しておりますので、死後に自分の未練(満たされることのなかった本能、愛されたいという感情)がとんでもない不始末を起こしてしまうことを見越して、五重塔を建てたという設定の模様。
毛人の子でもある長男(この辺り入り組んでいるので読んでください)に、赤子のように愛でられ甘える姿は、厩戸自身が叶えられなかった・押し殺す他なかった願望が素直に表れたようです。まあ、妹の方は恋人のようにも甘えたいようでしたが、兄のほうはあくまで「妹」として愛でているつもりらしい。
同じ毛人の子でも、恋敵の子である入鹿には塩対応なところも、素直で大変よろしい。
特に女性キャラクターがそうなのですが、いわゆる現代的な美少女・美女のキャラクター(毛人の妹など)がいる一方、個性的な顔立ちのキャラクターもいます。額田部女王(推古天皇)が分かりやすい。推古天皇、美人なんですよね。仏画(菩薩像)的な顔立ちというか。
初見ですと、目が細くて眉もつり上がっているので、性格キツそうに見えたんですが、べつにそんなことはなかった。むしろ厩戸の立場からするとわりといい人です。政治的な部分にも表立って関わってくる女性ですが、そういう場面では厩戸の女嫌いもなりを潜めるようです。
他にも色々書きたいところですが、お陰様で寝不足なのでこの辺りにしておきます。
電子版で購入したんですが、画面サイズがB6くらいある端末が欲しいなと思いました。A5あれば見開きでも読めるかな……。
電子書籍はあまり購入しないので(とくに漫画作品は)タブレット的なものは持っていないのですが、スマホの画面だとド近視ド乱視がえらいことに。
iPad前々から欲しいと思っているんですが、もし今後電子で漫画を買うことが増えてきたら端末も買おうかなと思います。
以上です。ありがとうございました。
2022年08月10日
近況
お久しぶりです。サイトの更新がないのでTwitterの方も止まってますが、私は稼働しています。
先月、ずっと(十年くらい)プレイしてみたいと思っていたMinecraftをようやく購入して、ぼちぼち遊んでいます。山を消し去ったりひたすら穴を掘ったり、あまりクリエイティブなことはしていませんが楽しいです。
偽椿には相変わらず手を付けていませんが、クレス・メレーの方は少しずつ加筆を行っています。再公開する際にはメレーの子とセットにして、「完全版」というかなにかそういった感じの面持ちで当サイトの目玉商品(無料)として扱えるようにしたいです。
元々、メレーの子はクレス・メレーの補足的位置づけなんですが、メレーの子の完成度に本筋が負けているので、もっとインパクトがほしいところです。あと単純に繋がりが薄い。もっとフラグとして活用してほしい。
タイトルも変えようかなと思っています。
というわけで、チマチマとした作業で進めています。来年再公開できればいいかなといったくらいのペース。
正直、やりたいことが多すぎます。あれもしたいこれもしたい状態です。ですが実際できることは限られていますからね。
あまり人生に焦りを感じないよう、ゆとりある心持ちを意識して過ごしていきたいです。まずの目標はコレでしょうか。
低浮上が続くとは思いますが、サイトにアクセスできる限りは生きていますし戻る気も満々にありますので、大丈夫です。
先月、ずっと(十年くらい)プレイしてみたいと思っていたMinecraftをようやく購入して、ぼちぼち遊んでいます。山を消し去ったりひたすら穴を掘ったり、あまりクリエイティブなことはしていませんが楽しいです。
偽椿には相変わらず手を付けていませんが、クレス・メレーの方は少しずつ加筆を行っています。再公開する際にはメレーの子とセットにして、「完全版」というかなにかそういった感じの面持ちで当サイトの目玉商品(無料)として扱えるようにしたいです。
元々、メレーの子はクレス・メレーの補足的位置づけなんですが、メレーの子の完成度に本筋が負けているので、もっとインパクトがほしいところです。あと単純に繋がりが薄い。もっとフラグとして活用してほしい。
タイトルも変えようかなと思っています。
というわけで、チマチマとした作業で進めています。来年再公開できればいいかなといったくらいのペース。
正直、やりたいことが多すぎます。あれもしたいこれもしたい状態です。ですが実際できることは限られていますからね。
あまり人生に焦りを感じないよう、ゆとりある心持ちを意識して過ごしていきたいです。まずの目標はコレでしょうか。
低浮上が続くとは思いますが、サイトにアクセスできる限りは生きていますし戻る気も満々にありますので、大丈夫です。
2022年05月04日
6月に向けての執筆を一時中断します
6月から更新しますと宣言しているので、滞らないよう頑張っています。
一応「晩冬」は書き終わっています。1,000文字くらいの短文ですが。
雰囲気としては、江戸時代くらいのちょっと賑わっている街の感じ。とは言っても、主に家の中で話は進むと思うのですが。あくまで「雰囲気」ですし、世界観はAldyssとかクレス・メレーと同じなので、なんちゃって江戸です。
ヨーロッパ風だと、そもそも現実のヨーロッパが私にとって遠い世界なので、結構メチャクチャな設定で無知を補完しつつの雰囲気づくりもわりと気兼ねがないのですが、和風となるといささか近い分、中途半端な知識が邪魔をしてくるというか、どこまでアレンジを利かせたらいいのか、なかなか難しいです。
どうせなら雅というか風流というか粋な文で書きたいという願望があるのですが、それだと進まないので普通に書いてます。とりあえず普通に書きます。そしてまたクレメレのように修正します。
当初、主人公は「キラとサラの二人」で考えていて、どちらかというとキラのほうがメインになるのかなと思っていたのですが、いよいよ書くとなってストーリーの流れだとか重要な場面だとかを想像していたら、むしろサラのほうが主人公だなと考えを改めた次第。
頭のスイッチを軽く入れ直しました。
5月中に「春」までは仕上げておきたいので自分に喝を入れながらチマチマとやっているのですが、いかんせん体調が宜しいとは言い難く。思うように進んではいません。
あまり自分に無理を強いても良くはないと思うので、少し諦めて様子を見ようかとも考え中。でもできるだけ更新予定のスケジュールは変えたくないなあと。
難しいところです。
ちなみに手術ですが、この感じだと8月くらいにやるようかなと。その後またやるのか、一度の麻酔で終わらせられるのかはまだ分からないのですが、たぶんやると思います。
なので、少なくともひと月くらいは使い物にならないと踏んで、その分を今の時点で書き溜めておきたいという気持ちがあります。
といった記事を書いて公開し、自分に喝を入れる気満々だったのですが、どうも摂食障害の影響で体調不良に拍車が掛かっていたようで。そもそも拒食になったり過食になる切っ掛けが身体的コンディションによるものなので、一年くらいスルーしてました。
自分で思っている以上に、メンタルに負荷がかかっていたようです。休憩が必要なのかもしれません。
ついつい生き急ぐような気分で日々を過ごしたがってしまうのですが、焦って無理をしたところでツケが来るだけですし。本格的に生きるのがつらいとか思い始めてしまったら元も子もないですし。
休むなら休むで、自分に休息を命じないと大人しくできない人間なので、とりあえず二週間くらいPC切っておこうと思います。PC切るということは執筆作業諸々、やらないということです。とりあえず二週間は自制したいですが、できればひと月。
というわけで、早速更新スケジュール崩れそうなので目次から消しました。落ち着いたらちゃんと戻って書きます(書かないと屍になってしまう)ので、その時はよろしくお願いします。
一応「晩冬」は書き終わっています。1,000文字くらいの短文ですが。
雰囲気としては、江戸時代くらいのちょっと賑わっている街の感じ。とは言っても、主に家の中で話は進むと思うのですが。あくまで「雰囲気」ですし、世界観はAldyssとかクレス・メレーと同じなので、なんちゃって江戸です。
ヨーロッパ風だと、そもそも現実のヨーロッパが私にとって遠い世界なので、結構メチャクチャな設定で無知を補完しつつの雰囲気づくりもわりと気兼ねがないのですが、和風となるといささか近い分、中途半端な知識が邪魔をしてくるというか、どこまでアレンジを利かせたらいいのか、なかなか難しいです。
どうせなら雅というか風流というか粋な文で書きたいという願望があるのですが、それだと進まないので普通に書いてます。とりあえず普通に書きます。そしてまたクレメレのように修正します。
当初、主人公は「キラとサラの二人」で考えていて、どちらかというとキラのほうがメインになるのかなと思っていたのですが、いよいよ書くとなってストーリーの流れだとか重要な場面だとかを想像していたら、むしろサラのほうが主人公だなと考えを改めた次第。
頭のスイッチを軽く入れ直しました。
5月中に「春」までは仕上げておきたいので自分に喝を入れながらチマチマとやっているのですが、いかんせん体調が宜しいとは言い難く。思うように進んではいません。
あまり自分に無理を強いても良くはないと思うので、少し諦めて様子を見ようかとも考え中。でもできるだけ更新予定のスケジュールは変えたくないなあと。
難しいところです。
ちなみに手術ですが、この感じだと8月くらいにやるようかなと。その後またやるのか、一度の麻酔で終わらせられるのかはまだ分からないのですが、たぶんやると思います。
なので、少なくともひと月くらいは使い物にならないと踏んで、その分を今の時点で書き溜めておきたいという気持ちがあります。
といった記事を書いて公開し、自分に喝を入れる気満々だったのですが、どうも摂食障害の影響で体調不良に拍車が掛かっていたようで。そもそも拒食になったり過食になる切っ掛けが身体的コンディションによるものなので、一年くらいスルーしてました。
自分で思っている以上に、メンタルに負荷がかかっていたようです。休憩が必要なのかもしれません。
ついつい生き急ぐような気分で日々を過ごしたがってしまうのですが、焦って無理をしたところでツケが来るだけですし。本格的に生きるのがつらいとか思い始めてしまったら元も子もないですし。
休むなら休むで、自分に休息を命じないと大人しくできない人間なので、とりあえず二週間くらいPC切っておこうと思います。PC切るということは執筆作業諸々、やらないということです。とりあえず二週間は自制したいですが、できればひと月。
というわけで、早速更新スケジュール崩れそうなので目次から消しました。落ち着いたらちゃんと戻って書きます(書かないと屍になってしまう)ので、その時はよろしくお願いします。
2022年04月01日
2作品を非公開にし、新作の目次ページを公開しました。
クレス・メレー、メレーの子を一時非公開にしました。なんだかんだ現段階でそこそこ推敲は進んでいるんですが、一度熟成期間を設けたいと思います。内容は変わりません。言い回しを整えたり、言葉足らずなところを直す程度で済むと思います。
さて、2作品を非公開にした代わりと言っては何ですが、6月から更新開始予定でいる「偽椿」の目次ページを公開しました。
読みはそのまま「ニセツバキ」。ナツツバキの別名らしいです。或いはゴードニア(台湾椿・大頭茶)。とりあえず夏に椿に似た花を咲かせる植物。
ナツツバキは昔の日本では「沙羅双樹」と間違えられていたとかで。その辺りもなかなか興味深い。
個人的に沙羅双樹という木が好きです。仏教的な逸話についてはあまり詳しくないのですが、名前が気に入っています。
しかし子供の頃、檀家のお寺でそれっぽい木を見ては「これが沙羅か〜」なんて思っていましたが、あれは多分(いや確実に)ナツツバキだった。
つまり名前やイメージとして好いているのは沙羅双樹ですが、実際の樹の姿として知っているのはナツツバキというなんだか面白い事態。ワクワクしてしまう。
作品タイトルも、初めはなんとなく語呂が好みだったので「夏椿」にしようと思っていたのですが、「偽椿」という別名があると知って「こっちだ!」と。
ストーリーともぼんやりと絡めていけたらいいなと思っていますが、現状ぼんやりプロット状態なのでどうなるか分かりません。
どうなるか分からないと言えば、今回はできるだけ定期更新にしたいと思い、早めにスケジュールを組んでしまいましたが、実際あの通りにいけるかどうかは私の健康状態に掛かっている。
というのも、もしかすると今年は手術をするかもしれませんので、となると入院とか事前検査の通院だとかで結構時間と体力を持っていかれる。実際するかどうかはまだ決まっていないので、もしかしたらしないかもしれませんが。
とりあえず今週に控えている内視鏡検査を頑張ってみます。
もしするとなったら、多分今年中に2回体を切ることになるので、スケジュールはガタガタになると思います。ので、そんな程度のゆるい予定だということでご了承ください。
それでも今年中に完結までは持っていきたいとは思っていますので、頑張ります。
さて、2作品を非公開にした代わりと言っては何ですが、6月から更新開始予定でいる「偽椿」の目次ページを公開しました。
読みはそのまま「ニセツバキ」。ナツツバキの別名らしいです。或いはゴードニア(台湾椿・大頭茶)。とりあえず夏に椿に似た花を咲かせる植物。
ナツツバキは昔の日本では「沙羅双樹」と間違えられていたとかで。その辺りもなかなか興味深い。
個人的に沙羅双樹という木が好きです。仏教的な逸話についてはあまり詳しくないのですが、名前が気に入っています。
しかし子供の頃、檀家のお寺でそれっぽい木を見ては「これが沙羅か〜」なんて思っていましたが、あれは多分(いや確実に)ナツツバキだった。
つまり名前やイメージとして好いているのは沙羅双樹ですが、実際の樹の姿として知っているのはナツツバキというなんだか面白い事態。ワクワクしてしまう。
作品タイトルも、初めはなんとなく語呂が好みだったので「夏椿」にしようと思っていたのですが、「偽椿」という別名があると知って「こっちだ!」と。
ストーリーともぼんやりと絡めていけたらいいなと思っていますが、現状ぼんやりプロット状態なのでどうなるか分かりません。
どうなるか分からないと言えば、今回はできるだけ定期更新にしたいと思い、早めにスケジュールを組んでしまいましたが、実際あの通りにいけるかどうかは私の健康状態に掛かっている。
というのも、もしかすると今年は手術をするかもしれませんので、となると入院とか事前検査の通院だとかで結構時間と体力を持っていかれる。実際するかどうかはまだ決まっていないので、もしかしたらしないかもしれませんが。
とりあえず今週に控えている内視鏡検査を頑張ってみます。
もしするとなったら、多分今年中に2回体を切ることになるので、スケジュールはガタガタになると思います。ので、そんな程度のゆるい予定だということでご了承ください。
それでも今年中に完結までは持っていきたいとは思っていますので、頑張ります。
2022年03月19日
エピローグ後のレナートとリオン
ほぼ雑談ですが、一応タロットカード等を使って(とくに設定していない)エピローグ後の二人について掘り下げています。
段々テンションが上ってうるさくなってきます。
40分超えの動画で、約365MBあります。スマートフォンの方はデータ通信量等お気をつけください。
続きを読む
段々テンションが上ってうるさくなってきます。
40分超えの動画で、約365MBあります。スマートフォンの方はデータ通信量等お気をつけください。
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2022年03月02日
レナートの恋愛指向と性指向
こじらせてるキャラばっかりの我が家です。どうも。
レナートの恋愛指向は一言で言ってしまえばデミロマンティックだと思われます。よほど信用できる相手にしかときめかない。
子供の頃はたぶんですがエロイにそういう感情を持っていたと思います。現在はリオンに持ち掛けてる段階。ほぼ持ってる。
なので、性別は関係ない。パンロマンティック。パンデミ。
性指向なんですが、これがちょっと難しい。本質的には性別不問(パン)のデミセクシャルだと思います。が、22歳時点で性嫌悪が入ってるので、アセクシャルに限りなく近い状態。アセクシャルだから性嫌悪持ちってわけじゃないですけれども。
で、これは最近知ったんですが、「ハイエロフィリア」というものがあるらしく。これは性指向というより性倒錯のカテゴリのようですが、これもあるなと。「宗教的なもの、神聖なものに性的魅力を感じる」というもの。雷神にそういう意味で惹かれているので。でもそういうふうに思ってしまう自分が嫌だ、という状態。
私も以前はこういうセクシャリティについてのリサーチをやりまくってたんですが、最近はめっきりです。私自身が自分のためにそういったことをさほど必要としなくなったのが大きい。
カテゴリー分けしようとすると、その定義に当てはまるために自分をコントロールしてしまう。「カテゴリーじゃなくてタグの方が便利だな」といったことは以前から考えてはいたのですが、自分に関してはもうカテゴリーだろうがタグだろうがなんだろうがどうでもいい、といった感じです。
ただ、キャラクターについて考えていくためには、やはりそういう言葉は便利ですし、説明にも使いやすいです。
もし現実に自分を他人に説明するとしたら、やはりそういう言葉とか定義を用いることになるんでしょう。
あと、レナートは恋愛感情とか友情とか憧れとかの境界線が分からない人です。これにも「クワセクシャル(クワロマンティック)」という言葉があるようですが。
様々なサイトの解説を読みましたが、解説というのも書く人によって微妙に異なったりもしますから、正直デミセクシャルとクワセクシャルの明確な違いと言うか区別の必要性というものがよく分かっていません。これはもしかすると私自身が後者の要素を持っているせいかもしれない。
新しい言葉を知るほどに、よりしっくりとくるものにシフトしていく。だからもう自分を定義するのが面倒になってしまうんですね。
まあとにかく、レナートはデミロマンティックのデミセクシャルだということを言いたくて記事を書き始めたんですが、書くために改めて調べていたら「いや、クワセクシャルなのか」となりました。
この分野はどんどん新しい言葉が生まれてきて、2年も放置していると追いつけなくなります。確認のために調べたら思いの外勉強になりました。
更に追記すると、レナートの性自認は明確に男性ですが、男性に対して性的トラウマがあるので自分の性自認が男性であることに対して嫌悪感があります。
こういった状態にも名前があるんでしょうか。ちょっともう調べる元気がないので保留にしておきますが、探せばありそうですね。
レナートの恋愛指向は一言で言ってしまえばデミロマンティックだと思われます。よほど信用できる相手にしかときめかない。
子供の頃はたぶんですがエロイにそういう感情を持っていたと思います。現在はリオンに持ち掛けてる段階。ほぼ持ってる。
なので、性別は関係ない。パンロマンティック。パンデミ。
性指向なんですが、これがちょっと難しい。本質的には性別不問(パン)のデミセクシャルだと思います。が、22歳時点で性嫌悪が入ってるので、アセクシャルに限りなく近い状態。アセクシャルだから性嫌悪持ちってわけじゃないですけれども。
で、これは最近知ったんですが、「ハイエロフィリア」というものがあるらしく。これは性指向というより性倒錯のカテゴリのようですが、これもあるなと。「宗教的なもの、神聖なものに性的魅力を感じる」というもの。雷神にそういう意味で惹かれているので。でもそういうふうに思ってしまう自分が嫌だ、という状態。
私も以前はこういうセクシャリティについてのリサーチをやりまくってたんですが、最近はめっきりです。私自身が自分のためにそういったことをさほど必要としなくなったのが大きい。
カテゴリー分けしようとすると、その定義に当てはまるために自分をコントロールしてしまう。「カテゴリーじゃなくてタグの方が便利だな」といったことは以前から考えてはいたのですが、自分に関してはもうカテゴリーだろうがタグだろうがなんだろうがどうでもいい、といった感じです。
ただ、キャラクターについて考えていくためには、やはりそういう言葉は便利ですし、説明にも使いやすいです。
もし現実に自分を他人に説明するとしたら、やはりそういう言葉とか定義を用いることになるんでしょう。
あと、レナートは恋愛感情とか友情とか憧れとかの境界線が分からない人です。これにも「クワセクシャル(クワロマンティック)」という言葉があるようですが。
様々なサイトの解説を読みましたが、解説というのも書く人によって微妙に異なったりもしますから、正直デミセクシャルとクワセクシャルの明確な違いと言うか区別の必要性というものがよく分かっていません。これはもしかすると私自身が後者の要素を持っているせいかもしれない。
新しい言葉を知るほどに、よりしっくりとくるものにシフトしていく。だからもう自分を定義するのが面倒になってしまうんですね。
まあとにかく、レナートはデミロマンティックのデミセクシャルだということを言いたくて記事を書き始めたんですが、書くために改めて調べていたら「いや、クワセクシャルなのか」となりました。
この分野はどんどん新しい言葉が生まれてきて、2年も放置していると追いつけなくなります。確認のために調べたら思いの外勉強になりました。
更に追記すると、レナートの性自認は明確に男性ですが、男性に対して性的トラウマがあるので自分の性自認が男性であることに対して嫌悪感があります。
こういった状態にも名前があるんでしょうか。ちょっともう調べる元気がないので保留にしておきますが、探せばありそうですね。
2022年02月25日
カリンバなる楽器
最近YouTubeでよくおすすめに上がってくるもので、演奏動画など見ていたんですが、面白そうだったので買ってしまいました。
1500円くらいのものですが、なかなかの良音。
手軽さで言ったらリコーダーくらいの感じでしょうか。和音が出せるのが強みかなと。
ただ、私は指先が爪も含めて弱いので、ちょっと弾いてて痛いんですけれども。
半音なし17音なので曲によっては工夫が必要そうですが、とりあえず好きな音ゲーのメロディーをあれこれ弾くなりして、配置に慣れるところから始めてみようと思います。
なにかソロで一曲弾けるようになってみたいですね。
1500円くらいのものですが、なかなかの良音。
手軽さで言ったらリコーダーくらいの感じでしょうか。和音が出せるのが強みかなと。
ただ、私は指先が爪も含めて弱いので、ちょっと弾いてて痛いんですけれども。
半音なし17音なので曲によっては工夫が必要そうですが、とりあえず好きな音ゲーのメロディーをあれこれ弾くなりして、配置に慣れるところから始めてみようと思います。
なにかソロで一曲弾けるようになってみたいですね。